Apr 30, 2011

廃車買取を活用しましょう

自動車の廃車に頭を悩ませている人は非常に多いかと思います、敗者には面倒な手続きはもちろんのこと、決して安くないお金がかかります、という使用して車を家に置いておくのも考え物ですが、そんな時は廃車買取を利用してみるどうですか、いくら疲れて車でも買い取ってくれるでしょうどうせ廃車する場合は、可能な限りドンウルハリョヌンです。
被害者救済のために、交通事故の最低限の補償を受けられるように、国が定めた保険が損害賠償責任、自動車損害賠償責任保険である。交通事故被害者が諦めるように決定された。一般的に強制保険の知られて行動を走るすべての車やバイクの義務なしに彫刻されている。基本的に人身事故の場合にのみ適用されます物の損傷事故については適用されないようになっている。
 高校の美術部や美術コースなどで制作活動に励む生徒の作品を展示する「第1回高校アート展」が4日、福知山市内記一丁目の市佐藤太清記念美術館2階展示室で始まった。若い感性を生かし、自由に表現されたイラストや立体作品など約110点が並ぶ。19日まで。

 若い芸術家を育てることを目的に美術館が主催。創作活動に励む生徒たちに発表の場を与えたいと、高校側から声があがったのをきっかけに、今回初めて開催することになった。出品したのは、福知山、府立工業、大江、福知山淑徳、京都共栄学園の5校。
 
 会場には各校のブースが並び、それぞれの個性を楽しむことができる。油絵、立体作品、イラストなど、ジャンルは多彩。アジサイなどを描いた50号の油絵、海の生き物などをモチーフにした立体作品、アニメや映画のキャラクターを描いたイラストなどが並ぶ。
 
 このほか、名画を分割して各部をちぎり絵や水彩などで表現し、パズルのようにつなぎ合わせた美術部員たちの共同作品もある。
 
 開館時間は午前9時から午後5時(入館は4時30分)まで。火曜日休館。展示期間中は入館料が通常の半額になり、大人100円、子ども50円。

 新潟市は5日、津波発生時に、住民らが駆け込む一時避難場所として使用できるよう、ホテル日航新潟(同市中央区万代島)など同区万代地区の5ホテルと協定を締結した。ホテル入り口などには、「津波避難ビル」であることを示す標識が設置された。
 協定を結んだのは他に、ANAクラウンプラザホテル新潟(同区万代5)▽スーパーホテル新潟(同区明石1)▽ドーミーイン新潟(同区明石1)▽ニイガタ和光ホテル(同区東大通1)−−の4ホテル。避難ビルとして使用されるのは、津波警報または大津波警報発表時点から、警報が解除されるまで。
 同市は06年の津波シミュレーションで万代地区で最大1メートルの津波を想定している。東日本大震災を受けて地域防災計画の見直しを進めているが、現状でできることに取り組もうと、同地区をモデル地区として協定を進めていた。今後は、オフィスビルやマンションなどとの締結も目指す。【小林多美子】

9月6日朝刊

【関連記事】
防災の日:浜岡原発、津波想定訓練 都内は大規模交通規制
東日本大震災:津波で持ち主不明の品 自治体は扱いに苦慮
東日本大震災:津波で流出のヒ素 石巻で指針値超える
東日本大震災:1次避難場所のままだった3割が津波遭遇
福島第1原発:津波試算に対応なし 東電に枝野長官が遺憾


 ◇茶屋で古里を元気に
 坂道を駆け上ると、そこは茶屋だった。1984年の廃線まで新発田(新発田市諏訪町)−東赤谷(同市赤谷)の間18・9キロを結んだ旧国鉄赤谷線。今では、このうち12・3キロがサイクリングロードになっている。自転車に乗って赤谷を訪ねた。
 新発田駅から約13キロ地点。赤谷集落の旧赤谷駅の手前に茶屋はある。同集落出身の坂井光子さん(63)と夫の昭さん(64)が2002年に開いた「花戸茶屋」だ。
      ◇
 光子さんは中学卒業後、県外へ集団就職。その後、10代後半に赤谷に戻った。「手に職をつけよう」と市街地の編み物学校に通うため、赤谷線を利用した。当時、赤谷鉱山の労働者らで集落は人であふれ、車内はいつも混雑していた。鉱石を運ぶ貨物列車も頻繁に往来していた。
 雪が降る日は大変だった。帰り道、急勾配と積雪で列車は何度も止まり、しばしば雪の中で立ち往生した。「当時は除雪設備が今みたいにしっかりしてなかったの」。それでも、加治川の脇を走り、四季によって彩りを変える赤谷線の車窓が好きだった。
 29歳の時、光子さんは昭さんと結婚し赤谷を出た。戦後、生産高が減少し続けていた赤谷鉱山はやがて閉山。赤谷線も84年4月に廃線となり、集落の過疎、高齢化は進んだ。
      ◇
 2000年のある日、光子さんは昭さんに相談された。「建具屋の仕事を辞めて、どこか山と川がきれいな場所で茶屋を開きたい」。光子さんは真っ先に赤谷線の風景が思い浮かんだ。
 2人で廃線跡の道路を歩いていくと、眼下に加治川が広がる林を見つけた。「ここしかない」。夫婦は地権者に頼み込み、土地を譲ってもらった。1年がかりで雑草や樹木を切り開き、02年に「花戸茶屋」を開いた。新発田の市街地にある自宅から通う。雪に覆われる冬季以外の週末に店を開き、草団子や山菜定食などを提供する。
 茶屋にはサイクリングロードを上り終えた客が大勢やってくる。赤谷線跡に興味を持ち、走りに訪れる人も多く、やがて茶屋に赤谷線の写真を飾るようになった。「赤谷出身者も多く来てくれて、懐かしいと言ってもらえるのがうれしい」と光子さん。
 過疎、高齢化が進み、限界集落化した赤谷を元気づけたい思いもある。光子さんは「やっぱり生まれ育った場所。ステキなところだと、いろんな人に知ってもらいたい」と話す。「そのためにゃ、長生きしないとな」と昭さん。おしどり夫婦の茶屋はこれからも店を開ける。【塚本恒】=おわり

9月6日朝刊

【関連記事】
選挙:衆院選 老いの街から 東京・新宿の戸山団地ルポ
県:集落再生で提言へ 検討委が初会合 /徳島
時を超えて:人とホトケの物語/19 「後は野となれ山となれじゃ」 /滋賀
里山祭「山笑い」:夏も 踊り「あさんがえし」復活−−27・28日、白山 /石川
高齢者ケア:協力を ブータン高官が要請−−京大でシンポジウム /京都


Posted at 02:12 in Accident | WriteBacks (0) | Edit
WriteBacks
TrackBack ping me at
Post a comment

writeback message: Ready to post a comment.